ジャマイカ人にルイーズ・ベネット(ミス・ルー)のことを聞けば、おそらく知らない人はいないと思う。しかしジャマイカに詳しい外国人でも、ミス・ルーが実際何をした人なのかよく知らない人は多い。
「ジャマイカ文化/フォークロアの母」と呼ばれるミス・ルーは、極貧のゲットーや地方部から急に出てきたわけではない。豊かではなかったにしろ都会で十分な教育を受け、持って生まれた語りの才能、技術、知性をもって、ジャマイカのよさに早い時期から気がつき、それを表現した人だった。 近年、パトワ(ジャマイカ英語)やジャマイカ人の価値観が当たり前に表現されているように感じているかもしれないが、まだまだアフリカ系の(土着の)文化遺産を恥ずかしいものと嫌悪するジャマイカ人は多い。しかしミス・ルーは知性を持ってそれらを表現したからこそ、肌の色や階級を問わず尊敬・愛情の対象になっているのではないだろうか。 二〇〇六年七月、ミス・ルーは惜しまれつつこの世を去ったが、レゲエのイベントに何万もの人が集まる今、ジャマイカ文化を語る上で重要な彼女の業績を知っていただけたらと思う。 *ルイーズ・ベネットの死(Beats21.comのニュース欄から): レゲエが世に出る前から、独特の語幹を持つジャマイカ英語の面白さを欧米に紹介したルイーズ・ベネットさんが亡くなった(2006年7月26日)。 Louise Bennett-Coverleyさんは1919年、キングストンの生まれ。彼女はジャマイカ人としてイギリスの「ロイヤル・アカデミー・ドラマティック・アート」に入学した人物で、同校で演劇を学んだ後、母国でコメディやパントマイムで大活躍した。 その愛らしい容姿とともに、ジャマイカン・パトワと呼ばれる地元の言葉をフルに使い、ジャマイカの言葉の素晴らしさ、楽しさを世間に認めさせた。 ジャマイカでは知らぬ人のいない文学者であり「民間大使」でもあった。 ここ25年はカナダを住まいとしており、亡くなったのもトロント近郊の病院でだった。 文・森本幸代 筆者紹介
■ 森本幸代(もりもとさちよ)一九七四年香川県生まれ。 高校生のとき妹の影響でレゲエに触れ、地元香川の伝導者らに引き込まれるかたちでダンスに通いだす。そのままレゲエのフリーペーパー『BIT』『bit of BIT』で書くように。二千年秋に『レゲエ・トレイン』と出会い、一転ジャマイカ文化の研究を始める。二〇〇二年にジャマイカ関連書専門のオンライン書店MIGHTY MULES’ BOOKSTOREを立ち上げ、二〇〇六年七月、MIGHTY MULES’の初タイトル『ボーン・フィ・デッド: ジャマイカの裏社会を旅して』を翻訳出版。 その他レゲエ・レコード店で新譜の解説、雑誌・フリーペーパーでの執筆、翻訳なども。専門分野はレゲエ、ジャマイカ文化。カリブ海地域を中心としたアメリカ、ヨーロッパのディアスポラ文学も愛好している。 |
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