<著者紹介>
おさない・かおる。明治・大正期の演劇界において重要な役割を果たした中心人物の一人。一八八一年〜一九二八年。広島市出身。
東大在学中には小泉八雲や夏目漱石らの教えを受ける。在学中に詩集「小野のわかれ」を発表、卒業後には雑誌「新思潮」を創刊するなど、若い頃から文学運動にかかわった。一九〇九年、歌舞伎役者の市川左団次と共に自由劇場を創立する。自由劇場は、新時代の演劇集団として注目され、その中心人物である小山内は時の人となってゆく。そして、大正末期には土方与志と築地小劇場を旗揚げし、チェーホフの「桜の園」やゴーリキーの「どん底」などを演出、その後の日本演劇界の土台を築いた一人となった。
日本初のトーキーを作るなど映画界でも活躍し、小説から舞台演出、雑誌編集までと、幅広く活躍した人物だった。
小山内は「赤い鳥」へ一九二三年までに十篇の童話を発表したが、本書にはその中の「石の猿」と「平気の平左」「梨の実」が収録されている。
<本書の序>
わたしの童話に對する考へは簡單です。自分の子供が三人ゐる――いづれも男で、一番上がやつと今年小學校へ行き始めた――これらに讀んで聞かせて、相當に分りもし、面白がりもし、また何かの意味で心の滋養になりもしさうなものを唯時々書いて遣りたいと思つてゐるに過ぎないのです。
ところが、この簡單な考へも、筆を執つて見ると、意外に實現のむつかしいのには驚きました。第一子供に「分らせる」といふ事が口では言へても、中々容易な事ではありません。「面白がらせる」といふ事は更に困難です。「心の滋養分を取らせる」といふに至つては、いつになつたら出來る事かと、筆を投じて嘆じた事も度々でした。
總ては子供に對する愛――深い深い愛――から出發しなければ駄目です。わたしにはまだその愛が足りません。この童話集はわたしの自分の子供に對する――又日本の總ての子供に對する――愛の「第一歩」に過ぎないのです。
「石の猿」と「いぼとり艾」と「梨の實」とは支那の傳説から種を執りました。「平氣の平左」は愛蘭の傳説を書き直したものです。「ヨコナン先生」は埃及、「正直もの」は露西亜から輸入しました。「琴の太郎」と「華族の子」と「自働車のステッキ」とは、いづれもわたし自身の創作でして、「琴の太郎」は子供が子供の頭で空想しさうな物語を書いて見たもの、「華族の子」は空想を離れて、現實にありさうな人間の愛を稍大人の讀む小説風に書いて見たもの、「自働車のステッキ」は子供に讀ませる落語のつもりで書いて見たものです。
小山内 薫