概要:
プエルト・リコなどカリブ諸島からニュー・ヨークへの移民は20世紀初頭から始まり第二次大戦後に急増。1950年代にはマンボ・ブームの牽引力となり、60年代の試行錯誤を経て、“キューバ音楽をもとにしながらも米国ならではの要素を加えた都市の新しいラテン音楽”としてのサルサを生み出した。70年代末からはアフロ系とともにヒップホップ〜ダンス・カルチャーの原動力となり、その後の米国(と世界)のポップ音楽界に多大な影響を及ぼしている。
米国ポップ音楽の中においてラテン系音楽はこれまでにどんな役割をはたし、また現在どんな位置にあるのだろうか?
そして、いまやアフロ系人口を超えてラテン系が最大のマイノリティとなった米国社会の中でこれからどこへ向かおうとしているのだろうか?
岡本郁生(おかもと・いくお):
1958年生まれ。
高校生だった70年代半ばにサルサの洗礼を受け,以来,ラテン音楽を心の拠りどころに日々の生活を送っている。大学在学中はモダン・ジャズ研究会でベースを担当。FM番組の制作者としてさまざまな音楽番組を手がけるほか,雑誌の連載,CD解説、イヴェント主宰など幅広く活動中。「マンボラマTokyo」幹事長。
もくじ
一 ボクの体の中にはラテン文化しかない
二 リッキー・マーティンだってブーガルー
三 コロンブスの「新大陸発見」以来の因縁
四 いったいマンボの発明者は誰なんだ?
五 プエルト・リコ移民、ニューヨークに上陸
六 ニューヨリカン≠ニしての意識の目覚め
七 サルサの代名詞となったファニア・レコード
八 島への回帰、サルサ離れ、世代交代
九 物議をかもしたサルサ・ロマンティカの台頭
十 マンボ王の復活と新人、マーク・アンソニー
一一 ワン・アンド・オンリー! セリアの大活躍
一二 もう一つの中心地、マイアミ・サウンドの快進撃
一三 マイアミ発・新しいラテンのモータウン
一四 ドミニカのメレンゲは弾けるようなビートで
一五 メレンゲがクラブ・シーンと深く交わり始めた
一六 急速に増えつづけるアメリカのラティーノたち
一七 セレーナの死、ブエナ・ビスタの大ブーム
一八 ロック・エン・エスパニョール台頭の陰で
一九 ラテン音楽の勢いは、歴史の必然