して、人々の心に強い衝撃を与えた。レゲエは社会の矛
盾を告発し、その矛盾の下でもがく人々に音楽を通じて
覚醒をうながした。
それゆえに一時期のレゲエは、体制を維持しようとす
る者たちから疎ましがられ、権威と利権の上にアグラを
かく者たちから嫌われたのである。
ボブ・マーリーは、その死後、ジャマイカの観光事業
を支える「国家の偉人」へと祭り上げられたが、彼の音
楽の本質は、リゾートの砂浜で冷えたカクテルに舌鼓を
うつといった 世界とはかけ離れた ところにある。むし
ろ、そのカクテルを作り笑いで差し出す黒い肌をした給
仕の心の中にこそ、ボブ・マーリーは「生きている」と
言えるだろう。
ボブ・マーリーが、世界に数え切れぬほど存在する貧
困地域の人々に、今も神聖をおびた英雄であり続けるの
は、こういうところに理由があるはずだ。
かつて私は、ジャマイカの首都、キングストンの孤児
院に掲げられたボブ・マーリーの大きな写真を見たこと
がある。私と会話をかわした孤児のみんなが、マーリー
が何者であるかを知っていた。彼は英雄であると。マー
リーのその写真は、海を越えてフィリピンはマニラのバ
ラック家の壁にも飾られていた。アメリカ合衆国の深南