して、人々の心に強い衝撃を与えた。レゲエは社会の矛

盾を告発し、その矛盾の下でもがく人々に音楽を通じて

覚醒をうながした。

 それゆえに一時期のレゲエは、体制を維持しようとす

る者たちから疎ましがられ、権威と利権の上にアグラを

かく者たちから嫌われたのである。

 ボブ・マーリーは、その死後、ジャマイカの観光事業

を支える「国家の偉人」へと祭り上げられたが、彼の音

楽の本質は、リゾートの砂浜で冷えたカクテルに舌鼓を

うつといった 世界とはかけ離れた ところにある。むし

ろ、そのカクテルを作り笑いで差し出す黒い肌をした給

仕の心の中にこそ、ボブ・マーリーは「生きている」と

言えるだろう。

 ボブ・マーリーが、世界に数え切れぬほど存在する貧

困地域の人々に、今も神聖をおびた英雄であり続けるの

は、こういうところに理由があるはずだ。

 かつて私は、ジャマイカの首都、キングストンの孤児

院に掲げられたボブ・マーリーの大きな写真を見たこと

がある。私と会話をかわした孤児のみんなが、マーリー

が何者であるかを知っていた。彼は英雄であると。マー

リーのその写真は、海を越えてフィリピンはマニラのバ

ラック家の壁にも飾られていた。アメリカ合衆国の深南

はじめに

部、ルイジアナ州の貧しい黒人の村にもそれはあった。

メキシコでは、反体制ゲリラが出没する山村の安酒場に

も、彼は「いた」。

 私が彼らに「ここになぜボブ・マーリーがいるのか」

と問えば、ほぼ一様に、ヒーローだから、神のような人

だからと人々は答えるのであった。

 神のような人、ボブ・マーリー。奴隷の末裔、ボブ・

マーリー。二つの形容の根っこは一つである。

 ではボブ・マーリーは、いかにしてそのような評価を

世界の人たちの間に築き上げるまでに至ったのか。ボブ

・マーリーとは、何者であるのか。レゲエとは何だった

のか。私は語りたいと思う。音楽が消費されるだけのこ

の時代にあって、その流れに刃向かうように「生きるこ

と」を問い、さっさとこの世から消えた男の生涯を。



=立ち読みはここまで=



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